「早春の 青きシートに 鮫泳ぐ」
(それにつけても 金の欲しさよ)
代々木公園にサメを捨てた奴は出てこい。
まったく。
癪に障るぜ。サメだけに。
「サメの死骸、なぜか代々木公園に…内臓なし」
カテゴリーアーカイブ: 随想的なモノ
3.14じゃなければ3でもいいじゃない
いわゆる「ゆとり教育」の一環として、「円周率は3と教えることになった」という話が一時期取り沙汰されて、(正確には「手計算においては円周率を3として教えることになった」)、「円周率=3.14」と教えられた世代としては「そりゃないだろ」と思ったもんだが、(俺の乏しい数学の知識によれば)たしか円周率の少数展開は無限に続くはずだ。
だったら、円周率の概数が「3」だろうが「3.14」だろうが、客観的に考えてみたら、大した違いはない。目クソ鼻クソだ。
そして、円周率といえばπだ。つまり「パイ」。
何で、急に円周率のことを思い出したかというと、昨日、こういう記事を目にしたことを思い出したからだ。
「源氏パイ」に姉妹品「平家パイ」登場。
一瞬、「ん?」と思ったわけですヨ。
指環のルビ
「ONE PEICE」って、一度も読んだことも観たこともないので、良くは知らんのだけど、モンキー・D・ルフィって、ゴム人間なんだよね?
ゴム人間つうことは、つまり、あれ、体中、あちこち伸びるんでございましょ?指とかも、自由自在にビローン、と、この、ね、ルフィの指は、ね。ルフィの指は。
えー、と、何だっけ?
ああ、そうそう、昨日、カミさんが、会社の会議で「ルビはオヤジの半分の級数で」と言ったら、若い社員に「どの親父ですか?」と聞かれた、ってtwitterでつぶやいてたんですワ。
出版については素人の俺でも、フリガナの文字の大きさの話をしてるんだから、「オヤジ」=「親字」、つまりフリガナを振る時の「元になる字」なんじゃないか?ぐらいの推測は出来るぞ。知らんが、多分そういうことだろう。
ハードボイルドだど
最近、「Gunosy」という、twitterのログの解析をして、その人が興味を持っているであろう事柄に関連したネット上の記事を、毎日教えてくれる、というサイトに登録した。
最初のうちこそ、「不活性で怠惰なアタシの肉体の神秘」など、「お!分かってんじゃん!w」という記事も時々教えてくれていたのだが、「使えば使うほど賢くなる」という解析アルゴリズムのはずが、何故か俺のところには、日を追うごとに、政治、経済、金融、そして、プログラミング関連の記事の情報ばかりがやって来るようになった。(笑)
別に政治・経済や金融の話題は嫌いではないし、昔、一時期とはいえ、COBOLという多分今ではあまり使われないであろうプログラミング言語でプログラミングをしていた時期はあったのだが、最近の俺のtwitterのログを解析した結果が何故こういうことになるのか。
まつがい
帰宅して、家の鍵を開けようとして、懐から定期券を出してしまった君になら分かってもらえると思うが、
俺は
駅の自動改札で、家の鍵を出したことがある。
暮らしの電磁気
最近、カミさんが留守で俺一人で家にいる時に、テレビをつけず室内に居ると、どこかで音がするのに気がついた。「シー」という、ほとんど聞き取れないような微かな高い音だ。
まさか、齢50を過ぎた俺にモスキート音が聞き取れるはずもなく、そもそも、ここはコンビニの駐車場ではなく、俺はそこにたむろする若者でもないので、そういうものを聞かされて追い払われる理由もない。
試しにそこら中の電気器具のスイッチを切ってみたが、状況に変わりはない。
ホワット・イズ・ディス?
ひとつ、可能性として考えられるのは、アレね。
「電磁波攻撃」
弁証法的理性批判
「酒は呑んでも呑まれるな」と申しましてな。
酒は好きだが(飽くまで、ちょっと嗜む程度である。念のため)、ちょっと油断すると呑み過ぎて、翌日は、トイレット・イズ・マイ・ルーム的な感じになることが多々あるし、呑み過ぎると身体に悪いことは重々承知しているので、花見や新年会など特別なイベント以外では、あまり呑まないことにしている。
原則として「呑むのは週末」と決めている。
それでも、時々、平日に呑みたいような気分になることがあるのだ。(分かるよね?同士よ。)カミさんにも「呑むのは週末だけ」と宣言している手前、そういう時は一応お伺いを立ててみる。
俺「今日、呑んでもイイかな?」
カミさん「え?何で?今日は平日でしょ。」
中国四千年の奥義
「満漢全席定食」なるものを考えてみた。
考えてみたが、まるっきり想像がつかない。何しろ俺は「満漢全席」なるものを食ったことがない。見たことすらない。
「定食」というからには、飯と味噌汁と漬物はマストだろう。で、メインはもちろん「満漢全席」
見たことないけど。
どうだろう。650円ぐらいで。
650円で「満漢全席」
大戸屋あたりにアイデアを売り込んでみたいと思う。
果しなき流れの果に
先週末ぐらいに、何故か、ふと、小松左京先生の顔が頭に浮かんだ。特に理由はないが「ああ、亡くなるのか」と何となく思った。似たようなことは以前にもあった。ただ、確信があるわけではく、先週のその時も、すぐに忘れてしまった。
今日、先生の訃報を聞いた。
先週、あんなことがあったから、驚きというよりは「ああ」という感じだった。
どうでもよい、というのではない。ショックな出来事であることに間違いはない。
しばらく前に、本屋で何気なく手に取った「小松左京マガジン」の先生の写真を見て驚いた。お歳がお歳とはいえ、そこには昔の面影はなく、やせ細った老人の姿があったからだ。
考えてみたら、その頃から、近いうちに亡くなるのかも知れない、とずっと思っていたのかも知れない。
「小松左京」の名前を意識し始めたのは「日本沈没」あたりからからだが、後年調べていたら、一番最初は、NHKでやっていた実写とアニメの合成作品「宇宙人ピピ」(1965年~1966年)、次は、やはりNHKの人形劇「空中都市008」(1969年~1970年 原題:アオゾラ市のものがたり)で既に小松作品に接していたことが分かった。