コズミック・サーファー

出身は長崎だが、大学は福岡の某キリスト教系大学に行った。入学してすぐに、あるアウトドア系のサークルに勧誘された。最初は気乗り薄だったが、不思議な偶然から入部する事になった。
最初こそ気乗り薄だったが、5年間(1年留年したのだ)きっちり参加した。むしろ積極的だったと言える。入部してすぐに付けられた「ガメ」というニックネームを、今に至るまでずっと使う事になるとは思わなかった。それくらい思い入れがあったということだ。
就職する事になった時に、就職先を決定する条件として考えたのは、1)九重に近くて、行くのに時間があまりかからないこと。(活動のベースは、大分の九重とそこにある施設だった)2)OB会への参加や、現役部員との交流が容易であること。の2つであった。結局、福岡市が本社の某企業に就職した。


就職を考える時に、こういう決め方は如何なものかと思わないでもないが、仕事の内容や、人間関係は別として、週休二日で、転勤もなく、給料は大した事なかったが一応ボーナスもちゃんと出て、そこそこ満足していた。
その会社には15年勤めた。知り合いがIT系の会社を立ち上げたので、そちらに転職した。周囲には危ぶむ声もあったが、俺が転職してすぐに、元いた会社の経営が怪しくなって、大量リストラを行ったと聞いた。退職金の支払が出来ず、退職者との間で一部トラブルが起きたような話も聞いた。転職の時期としては正しかったという事か。
転職先のIT系の会社は、ITバブルで最初の頃こそ羽振りが良かったが、次第に先行きが怪しくなって、結局7年ほどで閉じる事になった。
同時期に、最初に勤めた会社が倒産した。また、同時期に、学生時代に所属していたサークルが30年の歴史に幕を閉じる事になった。活動の母体であった某新聞社が、厚生文化事業から撤退する事になったからだ。維持経費のかかる九重のキャンプ施設は閉鎖という事になった。不景気の波はこんな所にも影響が。
ほぼ1年無職の状態を経験して、現在の会社に就職した。しばらく福岡にいたが、本社が東京なので、東京に引越しをする事になった。福岡に執着する事になった理由がなくなった時に、福岡を離れる事になった。考えてみれば不思議な話だ。
こうしてみると、紆余曲折はあったが、何だか俺の人生って、楽チンにうまいこといってるんじゃないか。もちろん、これまでに嫌な事もあったし、胃が痛いこともあったし、悩む事も色々あったが、何かうまいこと波に乗っているような気がする。
そういった事をあれこれ考えていたわけですよ。久々の福岡の街を歩き回りながら。
いやー、歩いた歩いた。天神から、こないだまで住んでいた大橋まで歩いて、その後、昔住んでいた藤崎とか西新の辺りを当てどもなく歩いた。
何しろ、余裕を持って18時40分の便、しかも変更のきかない一番安いチケットにしてしまったもんで、ヒマを潰すのに苦労した。(笑)
東京に帰って来たら、アパートの敷地の入り口の門扉が新しいものに変えてあって、しばらく開け方が分からずに焦った。
そんな週末の、福岡→東京

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