常々、疑問に思っていることがある。
「小便小僧があるのに、何故、うんこ小僧はないのか。」
小便小僧と言うが、小僧のちんこの先からほとばしるアレは、当然、小便ではない。ただの循環水である。垂れ流しでは、水が無駄になってしまうので、循環させて、一旦ちんこから出た水は、吸い上げた後、再びちんこの先から出るような仕組みになっているものと思われる。
思うに、ここが、うんこ小僧のネックになっているのではないか。
つまり、小便なら良いが、うんこでは循環させるのが難しい。つまり、そういうことではないか。
循環を重視すれば、より循環させやすい、液体に近い形状のものが求められるわけであるが、すると、当然、うんこ小僧の尻からはジャージャーと水っぽいものがほとばしるわけで、小僧の姿は、何だか、腹の具合の悪い風を呈してしまう。なるほど、これではいかにも見栄えがよろしくない。
なるほど。
と。
えーと、なんだっけな?
ああ、そうそう。
常々、思っていることがある。
「私は只になりたい。」
つまり、「只の人」である。
「無償の人」である。
「無償の人」とは何か。
つげ義春の「無能の人」というのがあるが、それとは違う。
違うような気がする。
「気がする」というのは、つまり、よく分からないということである。
分からないのは、何故か。
つまり、思いつきで適当なことを書いたからである。
すいません。
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純文学よりもリアルな漫画
今日もまた、隙間産業のような、通なネタで
笑わせてもらいました☆
目の付け所が違いますね!!